哲学って何? という人の為にその意味を整理してみた(2)
もうどーいは。
折々四季です。
前回の記事↓の続きになります。
まだ読んでいないという方は(1)の方から読み進めてください。
改めて、今回のテーマのガイドラインを載せておきます。
世間で使われる「哲学」という言葉が意味するもの
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
このうち、1.と一部の2.が学術的な「哲学」になりますが、
これも次の2つに分かれていきます。
①過去の哲学の勉強
②自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
それでは、続きをやっていきましょう!
今回のもくじはこちら~。
1.「哲学」という学問には2つの顔がある?
1-1.哲学は学ぶもの? or 行うもの?
学問としての哲学って具体的にはどんなものなのでしょうか?
そんなことを人に尋ねてみると、
「哲学ってあれでしょ?『無知の知』とか『我思うゆえに我あり』とかっしょ?」
「『神は死んだ』とかな」
というように、過去の哲学者の名言(というよりかは、よく知られたフレーズかな?)をパッと答える方が結構いると思います。
少し齧った事のある人(わたしのような人とか)の場合は、
「プラトンはこういう風に言ってて~」とか、
「アリストテレスはこんな感じで考えてこう答えてて~」みたいな、
過去の哲学者に関する知識をペラペラと喋っちゃうかもしれませんね。
大学の哲学の講義でも、
「○○の哲学者の哲学はこんなやつで、過去の××哲学の流れを踏まえてて~」
みたいな感じのものが多かったです。
もうちょっと専門的になったとしても、過去の哲学者が書いた哲学書の読解の授業などが多く、議論はあんまりやってませんでした。(わたしの行ってた大学では)
こういった事から、大学で教わる哲学というのはしばしば、「哲学学」とか「哲学者学」といった風に批判されることも多いです。
批判する人たちの言い分はこう。
「あんなのは哲学じゃない。哲学というのは、世の中の疑問に対して論理的思考を武器に自分の頭で徹底的に考える事だ! 過去の哲学者が言っていたことに拘っている奴は哲学やってない!」
つまり彼らの言い分としては、哲学は学問というよりは1つの態度であり、哲学するのに過去の哲学者の哲学を学ぶことは必ずしも必要ではない、ということです。
なるほど。
確かに、「智を愛する」という「哲学」の本来の意味に照らしてみれば、哲学というのは1つの態度であると言えそうです。
しかしそうすると、哲学が学問として現在まで続いていることが謎になります。
ただの態度なら、「哲学」という学問がわざわざ残っている必要が無いからです。
大学で学ぶような哲学と、それを批判する人たちが口にする哲学、
果たしてどちらが正しいのでしょうか。
1-2.どっちかじゃねぇ! 両方とも「哲学」なんだ!
わたしは両方とも正しいと考えています。
つまり、過去の哲学を学ぶことも「哲学」だし、論理的に自分の頭で考え抜くことも「哲学」だと考えています。
その両方が学問としての哲学なのだ、と。
「一番の哲学者は色んなことに疑問を持つ子供たちだ」
こういった言葉はよく聞かれますし、実際その通りだと思います。
色んなことに疑問を持ち、それについて納得いくまで考え抜く。それが哲学だという事ですね。
だから、「徹底的に考え抜くことは哲学だ」という主張については特に説明しなくても理解してもらえると思います。
もうそのまんま、文字通りの意味ですし。
では、過去の哲学を学ぶことはどういう意味で「哲学」なのでしょうか。
どう説明すれば、哲学は態度だ派の人達に対して、
「過去の哲学を学ぶ事だって立派な哲学だ」
ということを納得させることができるでしょうか。
それはズバリ!
哲学的思考を鍛えることができる、です。
1-3.学ぶことでやり方が分かる、身に付くって話
いやいや、そんなの自分の頭で考えることでも鍛えられるでしょ!
という突っ込みをされる方も多いかと思います。
しかし、この「自分の頭で考える」というのが曲者なんですよ。
自分の頭で徹底的に考える場合、どのようにして考えていくのでしょうか。
「考える」とはどういう事を指すのでしょうか。
わたしたちは様々な物の影響を無意識的に受けていますが、そんな状態でも純粋に「自分の頭で考える」ということはできるのでしょうか。
「考える」というのはどの人も普段やっていることなので軽視しがちですけど、深く根本的に考えていくという事を普段からやっている人は恐らく少ないはずです。
だって何でもかんでも深く考えてたら疲れますし、何より物事が前に進まないですもの。
わたしだってそんな考えまくってる日々なんか送ってないですよ。
サッカーをする時は、コーチなどにサッカーのやり方を教わります。
英語を学ぶ時は、英文を読んで英語特有の語の繋がり方とかを学びます。
料理を学ぶ時は、親や先生に料理の手順を教えてもらいます。
それと同じです。
哲学の場合も、過去の哲学を学んで、哲学者たちがどのように考えていったのかを教わるのです。
彼らの思考過程を自分の頭の中でも辿り、深く物事を考えるとはどういう事なのかを訓練するんです。
また、自分が漠然と考えていたことを過去の哲学者が既にもっと細かく考えていた、というケースもあり得ます。
そんな時には、過去の哲学ではどのように考えていたのかを学ぶことで、それを土台にしてさらに探求を進めていくことができます。
こういった意味から、過去の哲学を学ぶことも立派な哲学なのです。
ということで、学問としての哲学には2つの側面があることになります。
- 過去の哲学の勉強
- 自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
2.全体のまとめ
さて、
今回はわたしが大学で専門的に学んでいた「哲学」について、それって何なの? って話をしました。
結構ごちゃごちゃしてるところもありますが、ここでもう一度、これまでの話で明確にしていった「哲学」という言葉の意味をまとめたいと思います。
まず、「哲学」とは「智を愛する学問」だという事を辞書で引いて確認しました。
そこから、世間一般でこの言葉が使われるパターンを元に、実際に使われる際の意味を確認しました。
一般的に使われる「哲学」の意味とは、次の3つに分類できます。
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
この中で、学問としての哲学は1.と、一部の2.だという話をしました。
その学問としての哲学も、よくよく見ていくと次の2つの側面がありました。
- 過去の哲学の勉強
- 自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
以上が、これまでの話でした。
いかがでしたでしょうか~。
3.四季のあとがき
世の中で使われる「哲学」という言葉は、だいたい上記した意味のどれかで使われています。
これらの意味をちゃんと区別して理解していれば問題ないんですけど、そうしていない人も沢山いて、そのために哲学があらぬ誤解を受けたり変なイメージ持たれたりしているんですよ。
今回の記事で、あなたの「哲学」に対する理解を深める事が出来たのなら幸いです。
哲学に興味が出た! という方は、書店で簡単そうな入門書を手に取ってみてください!
あれこれ考える事って、とっても楽しいですよ!
それでは、また~。