ちょっと待って! 速読する前にやっておくべき2つのこと
もうどーいは。
折々四季です。
新しいことを知る時の王道の手段って「読書」ですよね。
でも、読書って結構時間が掛かるじゃないですか。
で、読み終えてしばらく経つと、「あの本には何が書いてあったっけなぁ?」という風に学んだことが頭から抜けてしまっている……なんてこともありますよね?
そんな悩みとはもうオサラバしたい!
わたしのようにそう思っている、そこのあなた!
朗報ですよ~。今回はその読書のコツについて書いていきます。
数ある読書術の中でも今回は速読にフォーカスしてお届けします!
速読をする際の具体的なポイントについては次回詳しく書くとして、この記事ではまず、速読する前にやっておくべき2つのことについて話していきます。
ついでに速読の効用についても言及しますよ~。
記事の要点は見出しの文言の通りなので、サクッと内容を掴みたい方は目次を熟読してくださいね。
以下、もくじ~
1.大雑把に中身をつかむ読み方、それが速読
1-1.「この本ってどんな本?」ということをまずは知ろう
「見よう見まねで速読してみたけど、内容は、なんかよく分かんなかった」
「速読ってみたんだけど、結局普通よりちょっと早いかなくらいのペースで読んじゃった」
こんな経験ありませんか?
わたしはあります。何度かありました。
でもこれって、読もうとしている本がいったいどんな本なのか知らないことが原因の一つなんですよね。
だって何にも知らないんだから、そりゃあ早く読もうと思ったって「え、どゆこと?」ってなってつっかえちゃうのも無理ないじゃないですか。
だから、速読をする時にまずしなければならないことは、今読もうと思っているこの本がいったいどんな本なのか、ということを知ることなんです。
これから読もうとしている本なのに、いったいどうやってこの本がどんな本なのかを知ることができるんだ? 四季はアホなのか?
あなたはそう思ったかもしれません。
でも、安心してください。
百歩譲ってわたしがアホだったとしても、本文を読み始める前にその本がどんな本なのかは掴むことができるのです!
1-2.「まえがき」と「あとがき」は最重要!
どんな本にも必ず「まえがき」と「あとがき」があります。
本によっては「はじめに」とか「おわりに」とかって呼び方かもしれません。
いずれにせよ、本の最初のところと最後のところです。
この2つが、速読前にじっくりと読むべきポイントです。
本に限らず、大切なことは最初と最後にまとめられることが多いです。
ブログとか論文なんかは特にそうですね。
序論で全体の構成とか持っていきたい結果を書き、結論でこれまでの展開をまとめて言いたかった結果につなげる。
つまり、最初と最後というのは著者が一番力を入れているところなのです!
人によって、最初と最後のどちらに重点を置いているのかは違ってきますが、ほぼ必ず、どっちかに本文のエッセンスが凝縮されているはずです。
1-3.目次はツアーガイドさんみたいな存在
その本がどんな本なのか掴むのに役立つものがもう一つあります。
それは目次です。
目次、あなたはちゃんと読むタイプでしょうか?
それとも、すっ飛ばして本文を読み進めちゃうタイプでしょうか?
かつてのわたしは、読むんだけれどもサラッと読んじゃうタイプでした。
しかしこれ、とっても勿体ないのです!
「まえがき」「あとがき」同様、この目次という奴もまた熟読ポイントなのです!
では、何故目次はちゃんと読んだ方がいいのでしょうか?
それは、目次がその本の構成を示している部分だからです。
「当たり前じゃん」と思ったかもしれません。
実際、目次が本の構成を述べるというのは当たり前です。
そうじゃなければ目次とは呼べません。
しかし、当たり前だからこそわたしたちは軽視しがちなんです。
目次はわたしたちに多くのことを教えてくれます。
何について書かれた本なのか。
話はどんな風に展開していくのか。
どういう種類の本なのか。
このように、「まえがき」「あとがき」と目次を読むことによって、これから読み進めていこうとしている本が、いったいどんな本なのかということをだいたい知ることができるのです。
どんな話が出てくるのか少しでも予想できていると、速読で初めて読むことでもぐっと理解しやすくなります。
そしてこうやって速読をすると、その本の中身についても大雑把に理解することができます。
本の中身を大まかに掴むこと、それが速読という読み方なのです。
2.速読のメリット・デメリット
速読にもメリット・デメリットはあります。
と言っても、デメリットなんてそんなにないんですけどね。
むしろメリットばかりなので、どんどんやっていくと良いと思います。
2-1.メリット:良書探しにうってつけ
速読は読んで字のごとく、早く本を読むことを言います。
つまり、1冊読破するのに時間を掛けないということなんですね。
そしてこれは良書を見つけるのに非常に役立ちます。
世の中に本は沢山ありますけど、実際のところ腰を据えてじっくり読んだ方がいいような素晴らしい本ってあんまりないんですよね。
多くの本がさらっと読めば十分なものなのです。
本の中身を知るためには当然、読まないといけないです。
なので、数多ある普通の本の中から熟読すべき良書、自分にとって役立つ1冊を見つけるためには沢山の本を読む必要が出てきます。
普通に読んでいると時間がいくつあっても足りなくなりますよね。
そこでこの速読の出番!
速読で本の概要を掴めば、その本が自分にとって価値ある本なのかどうかという判断を下すには充分でしょう。
速読を活用することで、わたしたちはしっかりと読むべき本を効率よく探せるのです。
2-2.デメリット:どんな本にも通用するわけじゃあない
速読は非常に便利な技術です。
身に付けて活用すれば、多くの本でその効用を実感できるでしょう。
しかし、いくら速読といえど万能ではありません。
有効範囲というものがあるのです。
まず第一に、じっくり取り掛かるべき良書や難解な書物の場合は速読という読み方は適していません。
別記事で詳細を書きますが、速読は拾い読みでもあります。
つまり、「自分には重要じゃないな」という部分は読み飛ばしていくのです。
読み飛ばしポイントとしては、読者にとって理解しやすいようにと書かれた具体例とかですね。
しかし良書は得てして難しい本であることが多いです。
内容が難しいのですから、具体例を読み飛ばすのは得策ではありません。
だから速読には向かないのです。
また、速読はじっくり読む良書を見つける側面もありますから、良書を速読だけで片付けてしまっては本末転倒です。
第二に、文学作品のような物語系の本に速読は向きません。
小説や詩、エッセイといった物語系の本は一連のストーリーがあり、一つの流れがあります。
その流れを深く味わうのに必要なのはスピードではなく感情、そして想像力です。
しかし速読は情報収集という側面の強い読み方。
物語に共感したり想像力を働かせて楽しむ、ということとは無縁。
だから速読は物語系の本には向かないのです。
ここでいう文学作品、物語系の本というのには歴史書や哲学書、思想書なんかもふくまれます。
「哲学書にストーリーなんかねーだろ」
と思うかもしれませんが、これらの本には想像力が不可欠です。
また、著者の思考過程をなぞることも重要になってきますので、速読しにくい本なのです。
3.四季のあとがき
速読、わたしも頑張って取り組んでいますが、結構難しいです。
でも目次などから本の大枠を掴んだ後に速読、というのを繰り返しやっていった結果、段々とですが読むスピードとか、1回の速読での理解度とかが増してきていると感じています。
あ、そうそう。
本の大枠を掴む際には目次だけでなく、本を買った時についてくる帯も役立ちますよ。
ほら、帯ってその本についての短い文言が付いているじゃないですか。
あれがまさに、その本のことを端的に言い表してくれているんですよ!
まあ、そんな風に役立つ帯ばかりではないですが。
ということで、今回は速読の前準備と速読の効用についてでした!
それでは、また~。
参考文献
哲学って何? という人の為にその意味を整理してみた(2)
もうどーいは。
折々四季です。
前回の記事↓の続きになります。
まだ読んでいないという方は(1)の方から読み進めてください。
改めて、今回のテーマのガイドラインを載せておきます。
世間で使われる「哲学」という言葉が意味するもの
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
このうち、1.と一部の2.が学術的な「哲学」になりますが、
これも次の2つに分かれていきます。
①過去の哲学の勉強
②自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
それでは、続きをやっていきましょう!
今回のもくじはこちら~。
1.「哲学」という学問には2つの顔がある?
1-1.哲学は学ぶもの? or 行うもの?
学問としての哲学って具体的にはどんなものなのでしょうか?
そんなことを人に尋ねてみると、
「哲学ってあれでしょ?『無知の知』とか『我思うゆえに我あり』とかっしょ?」
「『神は死んだ』とかな」
というように、過去の哲学者の名言(というよりかは、よく知られたフレーズかな?)をパッと答える方が結構いると思います。
少し齧った事のある人(わたしのような人とか)の場合は、
「プラトンはこういう風に言ってて~」とか、
「アリストテレスはこんな感じで考えてこう答えてて~」みたいな、
過去の哲学者に関する知識をペラペラと喋っちゃうかもしれませんね。
大学の哲学の講義でも、
「○○の哲学者の哲学はこんなやつで、過去の××哲学の流れを踏まえてて~」
みたいな感じのものが多かったです。
もうちょっと専門的になったとしても、過去の哲学者が書いた哲学書の読解の授業などが多く、議論はあんまりやってませんでした。(わたしの行ってた大学では)
こういった事から、大学で教わる哲学というのはしばしば、「哲学学」とか「哲学者学」といった風に批判されることも多いです。
批判する人たちの言い分はこう。
「あんなのは哲学じゃない。哲学というのは、世の中の疑問に対して論理的思考を武器に自分の頭で徹底的に考える事だ! 過去の哲学者が言っていたことに拘っている奴は哲学やってない!」
つまり彼らの言い分としては、哲学は学問というよりは1つの態度であり、哲学するのに過去の哲学者の哲学を学ぶことは必ずしも必要ではない、ということです。
なるほど。
確かに、「智を愛する」という「哲学」の本来の意味に照らしてみれば、哲学というのは1つの態度であると言えそうです。
しかしそうすると、哲学が学問として現在まで続いていることが謎になります。
ただの態度なら、「哲学」という学問がわざわざ残っている必要が無いからです。
大学で学ぶような哲学と、それを批判する人たちが口にする哲学、
果たしてどちらが正しいのでしょうか。
1-2.どっちかじゃねぇ! 両方とも「哲学」なんだ!
わたしは両方とも正しいと考えています。
つまり、過去の哲学を学ぶことも「哲学」だし、論理的に自分の頭で考え抜くことも「哲学」だと考えています。
その両方が学問としての哲学なのだ、と。
「一番の哲学者は色んなことに疑問を持つ子供たちだ」
こういった言葉はよく聞かれますし、実際その通りだと思います。
色んなことに疑問を持ち、それについて納得いくまで考え抜く。それが哲学だという事ですね。
だから、「徹底的に考え抜くことは哲学だ」という主張については特に説明しなくても理解してもらえると思います。
もうそのまんま、文字通りの意味ですし。
では、過去の哲学を学ぶことはどういう意味で「哲学」なのでしょうか。
どう説明すれば、哲学は態度だ派の人達に対して、
「過去の哲学を学ぶ事だって立派な哲学だ」
ということを納得させることができるでしょうか。
それはズバリ!
哲学的思考を鍛えることができる、です。
1-3.学ぶことでやり方が分かる、身に付くって話
いやいや、そんなの自分の頭で考えることでも鍛えられるでしょ!
という突っ込みをされる方も多いかと思います。
しかし、この「自分の頭で考える」というのが曲者なんですよ。
自分の頭で徹底的に考える場合、どのようにして考えていくのでしょうか。
「考える」とはどういう事を指すのでしょうか。
わたしたちは様々な物の影響を無意識的に受けていますが、そんな状態でも純粋に「自分の頭で考える」ということはできるのでしょうか。
「考える」というのはどの人も普段やっていることなので軽視しがちですけど、深く根本的に考えていくという事を普段からやっている人は恐らく少ないはずです。
だって何でもかんでも深く考えてたら疲れますし、何より物事が前に進まないですもの。
わたしだってそんな考えまくってる日々なんか送ってないですよ。
サッカーをする時は、コーチなどにサッカーのやり方を教わります。
英語を学ぶ時は、英文を読んで英語特有の語の繋がり方とかを学びます。
料理を学ぶ時は、親や先生に料理の手順を教えてもらいます。
それと同じです。
哲学の場合も、過去の哲学を学んで、哲学者たちがどのように考えていったのかを教わるのです。
彼らの思考過程を自分の頭の中でも辿り、深く物事を考えるとはどういう事なのかを訓練するんです。
また、自分が漠然と考えていたことを過去の哲学者が既にもっと細かく考えていた、というケースもあり得ます。
そんな時には、過去の哲学ではどのように考えていたのかを学ぶことで、それを土台にしてさらに探求を進めていくことができます。
こういった意味から、過去の哲学を学ぶことも立派な哲学なのです。
ということで、学問としての哲学には2つの側面があることになります。
- 過去の哲学の勉強
- 自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
2.全体のまとめ
さて、
今回はわたしが大学で専門的に学んでいた「哲学」について、それって何なの? って話をしました。
結構ごちゃごちゃしてるところもありますが、ここでもう一度、これまでの話で明確にしていった「哲学」という言葉の意味をまとめたいと思います。
まず、「哲学」とは「智を愛する学問」だという事を辞書で引いて確認しました。
そこから、世間一般でこの言葉が使われるパターンを元に、実際に使われる際の意味を確認しました。
一般的に使われる「哲学」の意味とは、次の3つに分類できます。
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
この中で、学問としての哲学は1.と、一部の2.だという話をしました。
その学問としての哲学も、よくよく見ていくと次の2つの側面がありました。
- 過去の哲学の勉強
- 自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
以上が、これまでの話でした。
いかがでしたでしょうか~。
3.四季のあとがき
世の中で使われる「哲学」という言葉は、だいたい上記した意味のどれかで使われています。
これらの意味をちゃんと区別して理解していれば問題ないんですけど、そうしていない人も沢山いて、そのために哲学があらぬ誤解を受けたり変なイメージ持たれたりしているんですよ。
今回の記事で、あなたの「哲学」に対する理解を深める事が出来たのなら幸いです。
哲学に興味が出た! という方は、書店で簡単そうな入門書を手に取ってみてください!
あれこれ考える事って、とっても楽しいですよ!
それでは、また~。
哲学って何? という人の為にその意味を整理してみた(1)
もうどーいは。
折々四季です。
記念すべき最初の記事は、
不肖わたくしめが専攻しておりました哲学について書いていきます。
「哲学」ってなんなのよ? という人も、そうでない人も、わたしと一緒に今一度この「哲学」というなんだかふわふわとした言葉について考えていきましょー。
ガイドラインの意味も込めて、先に記事テーマ全体の要点を書いておきますね。
世間で使われる「哲学」という言葉が意味するもの
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
このうち、1.と、一部の2.が学術的な「哲学」になりますが、
これも次の2つに分かれていきます。
①過去の哲学の勉強
②自分の頭で論理的に考え抜く態度・行為
それでは、さっそく見ていきましょう。
今回のもくじはこちら~。
1.哲学?ああ、あの小難しくてよく分かんないやつね
1-1.哲学って一般的にはこんな感じのイメージだよね
「哲学」というと、大半の人が大見出しのようなイメージを持ってると思います。
一般的には、「難しそう」とか「理屈っぽい」とか「役に立たない学問」とか言われてしまう悲しいやつです。
まあ、このイメージはある意味では間違っちゃいないんですけどね。
理屈っぽいのは論理に重点を置いているのでしょうがないところですし。
中にはこんなイメージを持ってる方もいると思います。
哲学というのは自分の人生を貫く一本の芯のようなものだ、とか。
人それぞれの人生についての考え方が各々の哲学ってやつだ、みたいな。
これもまあ間違っちゃいないですね。
あるいはこういったニュアンスで使われる言葉でもありますね。
○○の成功哲学、××の経営哲学、△△の恋愛哲学、とか。
この辺は経験から得られた考え方ってだけでなく、ノウハウも含んで「哲学」という言葉を使っているような気がします。
1-2.それで実際のとこ、哲学って何さね?
色んな意味で使われているこいつですが、「哲学ってどんな意味なの?」ってネットとか本とかで尋ねてみると、(本はもの凄くシャイなので何も言ってきてはくれませんが)親切な方がたいてい次のように説明してくれます。
「哲学というのは“愛智学”、つまり“智”を“愛する”学問ということなんだよ」、と。
まったくの素人からすると、「何を言いたいんだおめーは」という気持ちになるんじゃないでしょうか。何を意味不明なことを、と。
お気持ちは分かりますが、残念なことに上の説明は合ってるんですよ。
実際、辞書には次のように書いてあります。
【哲学】
(philosophy)philosophia(ギリシア)は愛智の意。
【哲学】
philosophia(ギリシア)(=智を愛する)の訳語。
西周(にしあまね)が賢哲を愛し希求する意で「希哲学」と訳し、のち「哲学」と改めた。
[大修館書店 明鏡国語辞典 第二版]
1-3.智を愛するってつまりどういう事?
じゃあ「智を愛する」って何なんだよってことになりますが、それについては辞書の説明をさらに細かく見ていくと書いてあります。
簡単に要約してしまうと、哲学とは、
「世界や人生、人間についての根源的な問いを立て、それらについての本質を追究する学問。あらゆる学問の根底を成す学問」
と言う事が出来ます。
しかし、先ほど書いた通り、広く世間一般で使われる「哲学」という言葉にはこんな堅っ苦しい意味ばかりではなかったですよね?
「哲学」という言葉が世の中ではどのような意味で使われているのか。
もう少し詳しく見ていきましょー。
2.「哲学」のダブルミーニング
2-1.世の中で使われている意味を整理してみよう!
世の中で「哲学」という言葉が使われている場合を整理してみます。
- 世界や人生について根本的に考えていく学問を指す場合
- 個々人が持つ各々の人生に対する信念を指す場合
- ある特定の分野・領域において経験的に築かれた心構えを指す場合
ざっとこんな感じです。
「あいつは立派な哲学を持ってる」
なんて言う場合は、だいたいが「信念」という意味合いですよね。
もっと硬い表現をすれば「思想」でしょうか。
しかも個人の「信念」と呼ばれるものは、その人の中で体系立っていることが普通ですから、これは「体系的な思想」という風に言い換えることもできます。
「彼の経営哲学には学ぶものがある」
と言う場合は、単なる考え方というだけでなく、ある種のノウハウというか、手法も含めたニュアンスだと思いますので、「心構え」と言えるでしょう。
もしくは、特定分野についての「心構え」の中には、その人独特の人生に対する姿勢が混ざっていることも多いですから、これは「人生観」とも言えますね。
ということで、上のまとめをもうちょっと整理したり別の言葉で表現したりすると、 「哲学」という言葉が表現しているものは次の3つになります。
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
こうやって整理して見てみると、それぞれが意味する事って全然違ってますよね。
それにもかかわらず、3つとも「哲学」と書くことから全部同じものだ、という風に考えてしまう人が世の中には多いように感じます。
哲学学んでた人間としては、「違うんすよ~」と言いたくなってしまいます。
1つの語に2つ以上の意味を持たせることを「ダブルミーニング」と言いますが、世の中で一般的に使われる「哲学」という言葉はまさしく「ダブルミーニング」だと言えます。
だって、それぞれの意味を明確に区別して使われているわけではないんだもの。
それじゃあ普通の方がこの言葉を聞いて、「?」と混乱してしまうのも無理ないです。
2-2.整理したことをもうちょっと細かく見ていこう
そうそう。
2.と3.について少し補足です。
まず3.の方から。
3.は「経営哲学」とか「成功哲学」という感じで使われる「哲学」のことです。
くどいようですが、ここで言う「心構え」とは、ノウハウといったある種の理想的な行動や手法を含めたニュアンスで使っています。
これは明らかに学問ではないですね。
2.の意味合いで使われる「哲学」というものは、およそ誰しも持ち合わせているものです。
3.の意味合いと似ているんですけど、こちらの用法にはノウハウなどの方法論的な意味合いが無い、純粋な意味での自分や人生に対する考え方です。
そういうわけで「思想」なのです。
要するに、人それぞれが持つ、自分を取り巻く世界についての種々様々な考え方のことです。
これ自体も学問とは言えないでしょう。
しかし、ある特定の人物の思想は学問の対象になったりしています。
巷で有名なアドラー心理学についても、個人的にはアドラーの思想と呼ぶべきものだと思っています。
というわけで、学問としての「哲学」というのは、1.の意味で使われる「哲学」と、2.の意味で使われる「哲学」の一部がそれに当たります。
3.中間まとめ
はい、じゃあここまでの話をまとめます!
世の中では人生哲学とか、「自分の哲学を持て」的な感じで使われることの多い「哲学」という言葉ですが、その意味を辞書で調べてみるとこんなことが書かれていました。
哲学とは、「愛智、つまり智を愛する学問」である。
じゃあ「智を愛するって何なのよ?」というと、それは
「世界とか人生について根源的に突き詰めていくこと」
でした。
でも世の中ではそんな堅い意味で使われている場合だけじゃなくって、もっとラフな感じでも使われてるよね?
ということで、世間で「哲学」が使われる場合から、次の3つの意味を洗い出しました。
- 論理的に体系化された、いわゆる学問としての「哲学」
- 経験や直観的な発想を出発点として体系化された「思想」
- 経験・体験から築かれた「人生観」、または「心構え」
3つの内、1.と一部の2.が学問としての哲学だ、というところまでが今回の内容でした。
ここから先は、この学問としての「哲学」についての話になっていきます。
が、それは次の記事でやっていこうと思います。
今回はここまでです!
次回もよろしく!
それでは、また~。
折々四季ってこんな奴
もうどーいは。
折々四季です。
変な挨拶だなと思った、そこのあなた。
その通りですね。
単に、「はいどうもー」をひっくり返しただけですし。
でも響きが、、、
なんか好きです。
ん?
それに何の意味があるのかって?
まあいいじゃありませんか。
そういうことをやってしまう時もありますよ。
誰にだってね。
ここは初見さん向けページです。
わたしの自己紹介(簡単)だったりとか、
このブログの自己紹介(そこそこ)だったりとかをしてきます。
以下もくじ~。
1.折々四季ってどんな人? コイツの学生時代に迫る!
「あれ? 自分って生きてるやん……」
雷に撃たれたかのように、
あるいは深い夢から覚めたかのように、
自意識が出たというか、文字通り
「生きていることを自覚した」のは3歳のある日でした。
朝、ソファに座ってテレビを見ていたらそうなったことを今でもよく覚えています。
そんなヘンテコなことを経験したわたしですが、その後の人生はごく普通でした。
勉強はまあまあ得意だったので、小中高と成績は中の上くらいでした。
でも、別に勉強が好きってわけではなかったですね~。
小中高の勉強、特に中高の勉強は面白くないんですよね。
なんで勉強するのかとかも分からなかったし。
すんごい、“やらされてる感”が強かった気がします。
勉強が楽しいと思えるようになったのは大学生になってからですね。
ほら、大学って自分の好きなことを勉強できるじゃないですか。
講義はあるけど、それがつまらなくて興味が湧かないんだったら別に無理して受ける必要ないし。
なんなら、図書館にこもって自分で興味関心のある分野を学び続けててもいいわけだし。
そういう自由さがいいですよね。
で、わたしが大学でいったい何を学んでいたのかというとですね。
それは哲学になります。
は? てつがく?
哲学って何? 食べれるの? という人も中にはいらっしゃるかと思いますが、
それについてはまた別の機会にお話ししようかと思います。
哲学とはなんぞや、ということも哲学になっちゃうのでややこしいんすよ。
ものすごくザックリ言うと、 色んなことに対して、「不思議だなあ」とか、「面白いなあ」とか感じやすい学問です。
あれはね、
人によっては底なし沼ですよ……。
。。。と、まあ、わたしの今までの人生(手短に)はこんなもんです。
振り返ってみると、哲学に出会ったことは結構大きいですねー。
具体的かつ実用的に役立っているわけではないんですけど、自分の人生にとっては色々と良い影響を与えてくれているなと感じています。
では、次に移りましょうか。
2.広く浅くのびのびと。好きな物の話でもしましょ
わたしの好きなものですか!
う~~~ん。。。。。
たくさんありますね~。
ほんと、浅く広くだと思います。
あーでも、一部は深いかもしんない。
とりあえず、列挙していきますね。
- 創作活動(昔は絵。今は小説)
- ゲーム(ソシャゲ含む)
- 読書
- 絵画鑑賞(美術館巡り)
- 動物(特に猫! くそかわいい)
- 音楽鑑賞(ゲーム音楽からJ-POPまで)
- 旅行
- カフェでまったり(だいたい本読んでる気がしますが)
- 哲学とか心理学とか(新しいことを知るのって楽しいですよね!)
- アニメや漫画
- カメラ(まだ初心者です!)
- ラーメン(なんだかんだで醤油が一番好き)
- マインドフルネス瞑想
こんなところです。
どうでしょうか?
時々「多趣味だね!」と言われるのですが、自分ではそう思ってないんですよねー。
ゲームやアニメ好き、読書家とかなんでもそうなんですが、上には上がいますからね。
忙しくてなかなかできていないものもありますが、お休みの日は大体上に書いた事のどれかに勤しんでいます。
最近だと本読んでることと小説書いてることが多いかなあ。
小説、皆さんは書いた経験ありますか?
あれって、書くのに結構エネルギーいるんですよ!
簡単そうに見えて続けていくのが大変なんですね。
わたしは今のところエタらずに*1なんとか継続できてます。
超マイペースですが。
小説は100%趣味で書いてます。
現実だと時間と金銭面でキッツイので、自分の想いを託した作中のキャラクターたちに世界一周させることが目標。
ファンタジー世界ですけどね。
その他、好きなことを細かく書いていると文字数がかさばって読みづらくなるので、この辺で次に進みます。
サクサク行きましょー、サクサク。
3.そうだったのか! 今初めて知る、このブログの目的とは
さてさて、
わたしの自己紹介が終わったので、当ブログのことに話題を移していきましょう。
自己紹介(簡単)とか書いた割には結構長くなってましたね。。。
こっからが本編みたいなもんなんで、わたしも頑張って書いていきます!
簡単に、一言で!
このブログの趣旨を言いますね。
それはですね~、
『みんなで教養を身に付けようぜ!』
以上です、はい。
全然わっかんねーよという声が聞こえてきそうです。
まあ落ち着いてくださいよ。紅茶、美味しいですよ。
わたしが『教養付けようぜ』って言うのにもちゃんと理由があります。
まず「教養」という言葉について。
こちらの意味をハッキリさせておきましょう。
「教養」を辞書で引くとこう出てきます。
学問や知識を身につけることによって得られる心の豊かさや物事への理解力。また、社会人として必要な文化に関する広い知識。カルチャー。
[大修館書店 明鏡国語辞典 第二版]
辞書的な意味に従えば、教養を高めることで物の見方や人生観が豊かになるということです。そして自分をそのように高めてくれる知識の事も教養と呼ぶようです。
物の見方を広げる。豊かにする。
そう!
それこそがこのブログを始めた目的なんです!
というのもですね、わたしが大学生になって自分から積極的に色々学ぶようになって、
周りにあるものに対しての見方とか考え方とかが凄く多様になったんですよ!
それまでは結構「こうするべき」とか「これはこうだよな」みたいな、画一的に物を見る癖が(無意識にですけど)あったんです。
でも、専攻だった哲学を始め、物理学とか心理学とか美術史とかそういった学問を学んだことで、
「ああ、こういう考え方もできるんだ」
というのを知ることができたし、多少はそういった視点を持つこともできたと感じています。
でも、もっと色んな視点で世界を、自分の人生を見てみたいと思っています。
そのためにはまだ自分が知らない多くのことに触れていくべきですよね!
だけど一人だと何となく寂しい。
と、いうわけで、ですよ!
このブログを通じて『みんなで教養身に付けようぜ』ってことです!
新しいことを学ぶのって楽しいけど、しんどいことも多いですよね。
でも一人ではなくて、他の人と一緒にやっていけば続けていくことはきっと、そんなには難しくないはず!
そういう想いでわたしはこのブログを始めました。
雑記ブログなの? 特化ブログなの?
という疑問については、正直、自分でも決着がついていません。
でもまあ、記事にすることは基本的に、わたしたちの人生や生活にちょっと役立つようなものにしていくつもりです。
役立つと言っても、それが今すぐに役立つものもあれば、時間がたってから役立つものもあるでしょう。
それでも、知識はきっとわたしたちを助けてくれると信じて。
わたしはこのブログを運営していきます。
このページを読んでくれているあなたがこの想いに共感してくれるのであれば、
是非、一緒に道を歩んで欲しいと思っています。
と、こんな感じで真面目に締めたところで、わたしとこのブログの自己紹介は終わりにします。
色んな知識について扱うつもりなので、内容的にはちょっと硬い記事もあるかと思います。
ですが、取っ付きやすいものになるよう、こんな感じの軽い口調でいきますので、
今後ともよろしくですよ~。
*1:エタるというのは、未完成でぶん投げたままにしてしまうということです。要は志半ばで筆を折ってしまう事です。